2016年07月26日

都市経済における土地の重要性

中国でこんなニュースが。。。

中国、「新都市」開発34億人分 人口の2.5倍、野放図に計画
(西日本新聞2016年7月24日)

==以下引用==
【北京・相本康一】中国全土で計画中の「新城(新都市)」は5月現在で計3500カ所以上あり、定住を見込む人口を合計すると34億人に達する。中国政府は「新型都市化」を重点政策に掲げているが、中国の総人口(13億7千万人)の2・5倍に相当する計画に対し、専門家から「現実離れしている」との批判が出ている。

(略)

 国営通信、新華社によると、省や市、その下部の県レベルも含めた開発構想では住宅開発が優先され、産業育成が間に合っていない。地方政府が開発業者に土地を売却して収入を確保する「土地財政」の構造を背景に、過大な人口増を見込む傾向にあるという。

 開発実績が地方の共産党幹部の「評価」につながる事情もあり、各地に誰も住まない「鬼城(ゴーストタウン)」を生んでいる。

 専門家は「新型都市化は行政主導ではなく、市場メカニズムに任せるべきだ」と指摘している。

==以上引用==

まぁ多くの人が感じていたことが、数字として公表されると、結構無駄な投資がされているなぁと感じます。

ところで、伝統的経済学では、労働と資本が重要な生産要素です。市場が存在すれば、労働と資本は空間的にも産業的にも必要なところに配分されることになっています。労働と資本は「移動」しやすいからです。

もちろん移動のしやすさでいうと、資本>労働です。労働は住んでいるところのしがらみとか、新しく行くところへの不安とかがあるので、仕事があるからと言って、すぐに移動できるわけではありません。一方、お金は、必要なところはもうかる機会があるということですので、銀行がそれを察知すればすぐに投資がされます。

さて、ここで都市とか地域とか「場所」が導入されると、生産要素としての土地が無視できなくなります。

モノやサービスの生産場所、住む場所(住居)として土地が必要になります。土地がないと人は住めませんし、経済活動を行うことができません。

土地需要が高まり、希少性がでてくると、都市で土地取引が発生します。

どこを住宅にするのか、どこに公共施設を建てるのか、道路や鉄道(地下鉄を含む)をどのように配置するか、市場にまかせて取り引きさせるよりも、景観等を含めて政府が都市計画によって配分を行います。

ただし住宅市場については市場取引にまかせてもいいのですが、低家賃、安定した品質を考えて日本も(昔の)住宅公団などのように政府が介入しています。

その意味で、記事にもあるように単純に市場経済に任せればいいといっても、取り引きに騙される人が出てきたり、スラム改造で住んでいた人を追い出したりとさまざまな問題が発生するのため、政府が介入することが多いです。(もっとも典型的な介入は、土地利用の制限)

なぜ、土地取引には政府介入が正当化されるのでしょう。それは住宅、公共用地、交通幹線、鉄道(地下鉄)などは建物建てたら元に戻しにくいという土地の非可逆性があるためです。取引を中止ということが簡単ではないため、計画的な利用が必要ということになります。そのため、都市計画(Urban Planning)がどの国でも行われています。

また土地は都市公共サービスを提供する上での財源ともなりえます。どれだけ占有しているかによって課税することにより、占拠分に相応した負担とサービスをバランスさせられます。これについてはイギリスのCouncil Taxがそれに近いと言えますし、日本の固定資産税がそれにあたるといえるでしょう。

ただ途上国は中国を含めて土地、建物の課税制度が不十分なので都市経営の財源が不足することとなります。そのため、国有地ということを利用して、政府が土地ころがしで財源を確保しようとすることが多くなります。

上記の記事はまさにその結果です。地方政府が財源獲得のために土地ころがしをやり、多くの開発を行った結果、大量の空き家予備軍を作り出しています。

都市の土地経営には政府介入が必要といっても、「政府の失敗」が起こる典型的なケースとなっているといえるでしょう。

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2016年07月19日

中国の都市化の特徴

中国の都市化について、滞在先のSOASのセミナーで報告しました。そこでの議論を通じていろいろ感じることがあったので、ここで今の考えをちょっとまとめておきたいと思います。

中国の都市化とは何か?という根源的な問いに対して、私はこう答えておきたい(仮説)と思います。

他の諸国とは違い、中国の都市化は経済政策であり経済体制改革である。

この考えは、現在アジ研で行っている研究会の基本的テーマでもあります。(ここ


まず他国の都市化について考えてみましょう。

他国の都市化とは、自然発生的な人の経済活動の結果であり過程でした。日本でも戦後多くの人が職や教育のために東京をはじめとする三大都市圏に集まってきました。そこで発生するのが、住宅と医療、教育機関の不足、道路、地下鉄などの交通インフラの不足です。そのため政府は「対策として」都市インフラの整備を行い、住宅を供給し、医療や教育などの公共サービスを増強させてきました。それに伴って、いい都市づくりを目指して、都市計画が作られ、都市行政が発展してきました。

他国の都市化に関する政策とは、空間的に集中する人口や企業に関する「対策」であった側面が強いです。

一方、中国は都市化が不自然に抑えられてきたために、一挙に政策として都市化を押し出すことになります。

空間的な人口や企業の一部地域への集中を都市化を「空間的都市化」と定義すれば、中国の都市化は改革開放とともに始まり、多くの農民工が沿海都市部に流入してきました。そのためハード面で都市インフラの拡張は行われてきました。農民の土地を取り上げ、住宅を建築し、道路を拡張し、地下鉄は延伸されてきました。しかしソフト面、とくに公共サービスについては、都市住民には提供されても、流入した農民工には提供されませんでした。彼らはあくまで一時的居住者として扱われていたからです。一時的居住者であって都市住民でない、この取り扱いこそが中国の都市化が遅れてきた原因です。

そこで、現政権から都市化を推進するようになりました。問題はまさに都市化を妨げていた制度を取り除く「制度的都市化」を行わなければなりません。「制度的都市化」とは、一時的居住者として扱われていた農民工たちを都市の制度の中に取り込むこと、そして農村と都市の制度を共通化することによって、都市化をスムーズにすするめることを意味します。

以上のように、他の国では空間的都市化、そしてその対策が一般的に行われてきました。中国は空間的都市化に加えて制度的都市化を行わなければならない、これが中国の都市化の最大の特徴だと思います。

こう考えると、中国の都市化は、空間的都市化については他国との比較研究が有益でしょうし、制度的都市化については、これまでの経済改革の流れの一環として研究することが有益だろうと思っています。
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2016年07月12日

一帯一路戦略

中国の一帯一路戦略は、日本の見方、中国研究者の見方から分析されることが多かったのですが、今回SOASのワークショップに参加して、イギリスや中央アジアからの視点でどうとらえているかがわかって面白かったです。

話を聞いて興味深かったのは「アジアパラドックス」。これはアジアとくに東・東南アジアが中国の市場や貿易という経済的側面の付き合いを深める一方で、安全保障についてはアメリカに頼らざるを得ないことを指します。経済取引と安全保障が一体化する方がすべてにおいて安定するにもかかわらず、また割き状態になることです。

また中央アジアからみると、ロシアが安全保障を提供し、中国が経済的取引を提供しています。しかし中国的には金を出しつつ安全保障も同時に提供したいという意図があるといいます。

中国の一帯一路戦略は、アメリカ等西側諸国のように貿易交渉、自由貿易地域(FTA)の推進というよりは、もう少し緩やかな「関係」を築くことに主眼が置かれており、これが中国式の世界秩序への挑戦だという指摘もありました。

すでに、土地が豊富な中央アジア、ロシアは、労働力と農業技術が豊富な中国に土地を貸し出す契約も進んでおり、人と土地の交換が進んでいるといいます。意外に中国人労働者が順調に受け入れられているようです。

最後に、地域研究はやはり研究者のバックグラウンドが反映してしまうということを認識しました。イギリスや中央アジアの研究者の見方は新鮮でしたが、裏を返せばやはり彼らも自分たちのバックグラウンドが地域研究に反映されているといえます。地域研究の客観性というのは難しく、学問としての客観性を担保するためにはさまざまな背景をもつ研究者との交流が必要だと強く感じた次第です。

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2016年07月05日

主権

イギリスのEU国民投票は、主権の範囲というか、国家による支配権という意味の国家主権というものについて考えさせられました。

究極的な理想だけでいえば、人類は一つ、みんな協力して世界政府(議会、裁判所)をつくる、というのが世界の国家間の争いをなくす一つの方法のような気がします。

EUは、各国が憎しみ、いがみ合い、殺し合いした歴史を乗り越えて、各国が統合していく、経済的統合はもちろんのこと、政治的にも統合していく壮大な実験でした。モノや人の移動が自由になり、どこに住んでも経済的活動をしてもEUの一員であり、政治的にもブリュッセルの欧州委員会(議会や裁判所)に統合していく流れでした。

イギリスのEU国民投票によってイギリス国民はEU統合へ反旗を翻しました。大きな理由は、EUのコントロール(法律的)が強い、移民が多く流れ込んできており国内の社会資源(医療、教育)の負担になっているといった点です。イギリスはEUと交渉しながらEUからかなりの優遇を引き出しながらも、国民はそれに満足しない、EUからの支配から抜けるべきだと主張したわけです。

イギリス国内でも割れています。北アイルランドやスコットランドではEU残留を望む声が大きかったので、とくにスコットランドはEUと独立して交渉したい、同時にイギリス(連合王国)から独立する(独立を問う国民投票を行う)準備まで始まっています。

経済的には、主権をもつ政府がその地域の租税と公共サービスを提供します。その地域の住民はその地域内で自由な経済取引が行われます。政治的には、その地域の住民がその地域の政治的代表者を決定し、その代表者たちが政治を行います。

主権の範囲、とくに空間的範囲(人口規模)はどれくらいがいいのでしょう。おそらくそれは公共サービス(負担と支出)の制約のもとで、規模の経済、住民厚生の最大化が図られるところで決まるべきでしょう。

でも政治的な空間的範囲を決めるのは難しいです。基本は民族自決なので一民族一国家なのでしょうが、イギリスのように4つの国が一つの国を構成しているケース、中国のように多くの少数民族を抱える地域もあります。どのように範囲が決められてきたかといえば、それは政治力(軍事力)で決まってきたわけです。

イギリスを例にすると、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各主権が抑えられ、連合王国に主権が委譲されてきたために、連合王国内の経済と政治的安定がもたらされてきました。

EUもそれと同じで政治経済の主権を各国がEUに譲り渡すことによって、EU内の経済統合と政治的安定、とくに平和が維持されてきたと言えます。

イギリスのEU離脱交渉はまだ先ですが、本当にイギリスがEUから離脱することになれば、EUの求心力は下がらざるを得ず、おなじように他国が主権回復を望む可能性もあるでしょう。そのとき、どのように国家主権を超えた地域主権を維持するのか、そして各主権間のバランスはどうするべきか、が問われるように思います。


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