2016年10月11日

個人の独立(Individualization)

今日SOAS恒例月曜セミナーは、中国の個人がどのように育つかという問題。

Educating the Chinese Individual: Political Ambitions and Processes of Individualization
Professor Mette Halskov Hansen (University of Oslo)

Hansen教授はSOASの卒業生で、そのため現地調査による参与観察によって中国の個人がどのように個人として独立していくか(いわゆるIndividualizationの過程)を分析しています。

そもそもIndividualismというのは個人主義と言われ、西洋社会の中で注目されてきた概念です。アジアは比較的個人の概念が弱く、「空気を読む」という言葉で知られるように、個人が前面に出るよりは社会を立てる傾向があります。

西洋では、所属組織(家族、階級、性別、制度(教会)など)からの独立が進み、福祉でも伝統的な家族で面倒を見るというものから、社会で福祉を補うようになって、個人が独立してきました。

一方、中国は皮肉なことに政府、あるいは著名な知識人によって封建主義からの脱却というスローガンの下、個人の独立が行われてきました。つまり国家主導による個人の独立過程です。改革開放以降は経済の自由化、制度の変化により、市場での私有化の概念がすすみ、個人が独立した存在として成長してきています。

Hansenは中国浙江省の農村地域にある公立学校を事例にその個人の独立化を考えようとしました。

例えば
Case1 新社会主義における個人の教育では、良い共産主義者としていまだに雷峰同志に学べとしてあるべき個人像が学ばれている。しかし学生も教員もカリキュラムとして学び教えており、形骸化が見られる。

Case2 生徒会での経験
 学校側から生徒会の立ち上げが提案され、生徒側から会長選挙を選ぶ際には先生からの介入が強い。生徒は学校を良くするとかの方針を述べることを許されず、自分は何者かを示すよう求められる。

Case3 学校集会
 学校の精神などを学ぶときに学校集会が開かれ、そして熱狂の中で個人が自己を吐露することがある。

彼女の結論としては、西洋的な個人は社会や政府への反抗で生まれてきたけども、中国のように個人は社会や制度の中でも生まれるのではないかとしています。

この議論はやや悩ましいと思いました。一つは学校を社会のミニチュア版としてみることの妥当性、もう一つは参与観察だけなので、個人が独立してきているのかどうかはなんともいえないでしょう。

むしろ経済学的には市場経済の中における「関係」の存在がどれだけ減ってきたかによって個人が独立しているというのを見ることが可能ではと思いました。

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posted by okmtnbhr at 08:00| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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