2016年03月15日

中国経済研究

中国経済経営学会の学術誌『中国経済研究』に論文を発表しました。

岡本信広(2015)「中国の地域間分業と地域の「位置」」『中国経済研究』第12巻第2号、pp.1-17

「おわりに」より

 「本稿では,地域間産業連関モデルを用い,基本的な産業連関分析と平均波及世代数(APL)を利用して,地域間分業を明らかにし,二つの作業仮説,「内陸地域は沿海地域の原材料供給 地域である」「都市化・サービス化が進む地域は地域間分業の上流に位置する」を検証した。
 最初の仮説,「内陸地域は沿海地域の原材料 供給地域である」という点については,ほぼ支持されうるであろう。逆の言い方をすると,沿 海地域の発展は原材料等の需要を生み出し内陸の発展をけん引する。ただし西部大開発で工業化の進む内陸地域,例えば重慶,四川や甘粛な どは下流に位置し,沿海と同じく成長の極として周りの地域をけん引する存在である。
 二つ目の仮説,「都市化・サービス化が進む 地域は地域間分業の上流に位置する」という点については,支持されそうにない。都市化が進 む省市は地域間分業,サプライ・チェーンの下流に位置するのが一般的であり,もっとも都市化率の高い上海や北京も下流である。これは国 際分業の分析結果(Inomata and Fathi, 203) と相違する。想像されうる解釈としては,中国 の都市化は新しいビジネスサービスを生み出したり,研究開発などが進んで新しい付加価値を生み出したりはせず,むしろ,現状では都市化 は中国特有の「都市建設」(都市インフラ建設などのハード整備)であることを示唆している。 インフラ建設のために必要なセメントや鉄筋など原材料を内陸などから必要とする形になって いる。 もう一つの解釈は,都市化が進む地域は北京, 上海,広東,江蘇,浙江などの沿海地域であり, 国際サプライ・チェーンの中で輸出を通して付加価値を海外に提供している可能性もある。国 内サプライ・チェーンの中では下流に位置しつつも,このような地域は国際サプライ・チェー ンでみると上流に位置する可能性もあろう。これに関する検証は今後の課題である。」

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2016年03月08日

2016年2月読書ノート

2016年2月の読書ノート

久しぶりに読書ノートの一覧をアップ。



オススメはこれ。同業者にも院生にもあてはまるけど、どうすれば論文が生産できるかがよくわかる本。私も心がけていることとがこの本と一致したので、非常に納得。生産性をあげるにはとにかく毎日決まった時間に取り組むこと。

<経済>
柴田章久・宇南山卓(2013)『マクロ経済学の第一歩』有斐閣ストゥディア GDP、成長、消費、投資、労働、再分配、政府支出、財政と開放経済まで。消費を考えるには恒常所得仮説、賃金が硬直化している時には政府支出増加による失業対策の可能性、高齢化、社会保障費こそが財政の赤字負担。

ルイジ・ジンガレス(若田部昌澄・栗原百代)(2013)『人々のための資本主義-市場と自由を取り戻す』NTT出版 アメリカの自由市場が企業と政府の馴れ合いのクローニー資本主義に堕してしまう。ロビー活動を禁止するためにピグー税は有用。競争と市場を高めることが大事。

アンガス・ディートン(松本裕)(2014)『大脱出-健康、お金、格差の起源』みすず書房 人々は貧困、欠乏、病気から脱出してきた。相関はないが豊かになり、健康になったが富裕国では格差は拡大。脱出できていない貧困層も多く,援助は役に立っていない。成長は貧困から脱出するための原動力。


<自己啓発>
ポール・J・シルビア(高橋さきの)(2015)『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)』講談社 文章をたくさん書くための唯一の方法が、書く気の有無にかかわらず決まった時間に書くこと。まとまった時間に執筆する人、独創的アイデアが降りた時に執筆する人は、量、アイデア回数ともに低い。

山口真由(2014)『東大主席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法』PHP研究所 繰り返して読みながら全体、内容、細部に意識を向けて鮮明にしていく。気分転換も罪悪感を感じたりするので、とにかく続ける、場所を変える、教科を変える、使う器官を変えるなど。

<社会>
井上達夫(2015)『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版 啓蒙は理性の独断化、絶対化を招く可能性、寛容は抑圧的体制とまで妥協する弛緩性を持つ。リベラリズムの核心は正義である。正義は反転可能性テストに合格しなければならない。

施光恒(2015)『英語化は愚民化-日本の国力が地に落ちる』集英社新書 土着から普遍へというグローバル史観、英語化史観の妥当性は疑問。翻訳と土着化のプロセスがなくなれば多くの人々が社会から取り残され、知的成長の機会を奪われ、愚民化してしまう。
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2016年03月01日

六甲フォーラム

2月15日に開催された神戸大学大学院経済学研究科の六甲フォーラムで貴州省の都市化について報告しました。

これは昨年11月に実施された現地調査の報告を主体とするものです。

1)貴州省の都市化の特徴は、山型の都市化である
2)貴安新区での急ピッチの都市化と観光農村化による農村都市化
3)これらは投資主導型であるために、持続可能性に疑問

であることを報告。

伊藤亜聖(東大)さんより

1)内陸での産業誘致を内陸工業化論との関係を論じる必要がある。
2)都市化はどうファイナンスされているのか。比較として重慶モデルをあげるといいのではないか。
3)「下からの都市化」を感じさせる動きはあるのか。

というコメントをいただくとともに、城鎮化とは事実上「都市化+農村振興」という側面があることを指摘してくれました。

今後の改訂に役立てるとともに、この成果はアジ研研究会の一年目の報告書として公開される予定です。
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2016年02月09日

なぜ人は嫌中と親中に分かれるのか?

中国に対して日本人はなんとなく二つに分かれるようです。ヨーロッパの国やあまり歴史的につながりのない国には人は比較的中立の立場で論じられると思うのですが、どうも中国に対しては嫌中とか親中というフィルターが入って中国を見てしまうようです。(韓国に対してもその傾向がありますが)

まず、人は中国に対する現実と理想へのウェイトの違いによって嫌中と親中に分かれるように思います。

現実派は、中国共産党が中国を支配している現実を見ています。そうすると共産党という共産主義イデオロギー、そして一党独裁体制という政治体制に嫌悪感を持っているようです。自然と嫌中派の政治的傾向は保守派、右派に分類され、公平と自由という対立イデオロギーでいえば、自由を志向します。つまり反抑圧です。

一方、理想派は、「中国」というざっくりとした歴史、文化にあこがれを持ちます。日本は過去、漢字、食習慣等で中国から影響を受けています。長い歴史、それによって培われた奥深い中国文化への造詣を深めると親近感を持つようです。このような親中派の政治的傾向は、共産主義への嫌悪感がないためにリベラルや左派に同調します。公平と自由という点からは公平というイデオロギーを持ちます。

ただ、どちらも中国研究をやる上では障害になります。これらの立場で中国をみると矛盾をはらむことが多いからです。

嫌中派は、共産党が嫌い、政治的抑圧が嫌いという点がありながら、日本政府による日本企業の保護、農業の保護といった点には信頼を置きます。自由を志向しながら、政府への支配を認めるという矛盾を持ちます。保守派は一般的に愛国という点で政府の支配を認めるので、ただ単純に感情的に共産イデオロギーが嫌いという傾向をもってしまい、客観的な中国分析を不可能にします。

親中派は、左派やリベラル的な政治的な傾向を持ち,人権に重点を置きながらも、他国の人権には無関心です。関心があっても自国の人権には敏感で、他国の人権には無関心という、本来普遍的であるはずの人権概念を都合よく使っています。いずれにせよ一党独裁という政治的抑圧体制については目をつむり、中国と仲良くという単純な感情に支配されています。

どちらも感情論です。感情を越えて、学問的フレームワークをもち客観的に中国を見ていくことが本当の中国を理解する足がかりになるでしょう。

おそらく多くの中国研究者はこのバランスに腐心していると思います。
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2016年02月02日

圧力型体系がもたらすもの

中国の政治体制で大きな役割を果たしているのが、共産党の一党独裁とそれがもたらす圧力型体系(毛里)だと感じています。

地方と中央の関係では、中央から地方へと共産党員の階級がつながっており、中央の指示は地方幹部の絶対服従のものとなります。

それを可能にするのが、幹部選抜システム。会社でもなんでもそうですが、組織に所属する人のモチベーションはその組織社会において認められることです。それが報酬として働くので、昇進こそが地方幹部の働こう、中央の指示に従おう、という動機づけになります。

中央(命令)→地方(服従)
地方(業績)→中央(昇進)

地域経済をやっていると、必ずこの問題に行き当たります。なぜこの地方が習近平が視察にきたことをアピールするのか、開発区が国家級であることをアピールするのか、この都市が国家級の試点(テストケース)であることを強調するのか,これらはすべて幹部として中央に働きかけ,認められたという業績なのです。

これは地方をして地方政府が一生懸命働くきっかけにはなりますが,往々にして地方幹部が替わると,次の業績を求めるため,地方経済の政策としては一貫性がなくなることがあります。例えば,国家に認められた開発計画なのに,そのまま野ざらしになっているとか(基本,中央に認められても最近はお金はそんなに流れないことも多い)です。

地域開発を純粋な開発経済体として分析しつつも,地方幹部の業績評価を組み込む形で,拡張した地域経済モデルを考える必要がありそうで,最近いろいろ試行錯誤しています。
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2016年01月26日

地方創生のためには「どこでもドア」をつくること

地方の発展のためには、地方が東京とが「つながること」、財やサービス、人とお金(資本)、そして情報が自由に行き来できるようにすることが大事です。

つまり、地方と東京の間にドラえもんの「どこでもドア」を設置するということです。地方にいても「どこでもドア」を開けたらすぐ東京になるようにするわけです。

頭の中で行う思考実験をしてみましょう。

「どこでもドア」があったらどうなるか。地方と東京の「境界」、つまり距離とか場所とかが関係なくなります。どの地方もすべての地域が東京と同じ経済圏になります。どの地方に住んでも、いつでも必要であれば東京で仕事を探すこと、働くことが可能です。東京で疲れたらいつでも地方の自然でリフレッシュすることが可能です。仕事の賃金、所得、消費はすべて同じ水準になるでしょう。

現実は地方よりも東京が発展しています。東京が発展するのは、多くに人が集まっているからです。企業からすれば、東京に本社を置く方が人を雇いやすいです。実際、大学生の40%強が首都圏の大学にいます。また、多くの企業があるので、必要な原材料や情報が手に入りやすいです。多くの企業が東京に集まって、首都圏そして日本の経済発展の中心となっています。

この発展の恩恵を受け取るためには、地方は「どこでもドア」を手に入れるべきです。地方創生には、首都圏あるいは大阪とか名古屋など都市とどのようにできるだけ便利につながるかという観点をとりいれるべきなのです。

実際に、日本は地方と都市との格差は非常に小さいです、これは日本の地方が首都圏とつながったためです。

時間距離で見ると東京から各地方まで遠いところでもほぼ6−7時間で行けてしまうのが現在です。

「東京駅から全国各地への所要時間を可視化した映像。これはタメになる!」


実際には、金銭的距離や心理的距離があったりしますが、東京に一極集中しながらも地方が恩恵を受けてきたのは、地方と東京がつながったためなのです。
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2016年01月19日

都市とは何か?

私たちが普段暮らしている家にそんなに興味も話す内容もないのと同じように,普段の生活の場所として暮らしている都市にもあまり興味をもたないのが一般的です。

でも,都市に興味を持つ人たちもいます。時にはオタクのように,建築物の特徴や町の歴史,地下鉄のネットワークなどに詳しい人たちもいます。

都市の面白さを感じてもらうために,「都市とは何なのか」,ちょっと考えてみたいと思います。


1.ムラとマチの違い

ジェイコブズ(『都市の原理』)は最初に街や都市ができたと考えていますが,一般的にムラからマチに移行したと考えられています。ムラは農業が中心の場所です。土地を使うために,集落は分散しがちです。マチは商業が中心です。モノの売買が行われるので,人が集まって住むようになります。

ムラとマチの違いは,まさに人の集まり具合が違うこと,営む経済活動が違うところにあります。

もう一つの違いは,ムラでは血縁者が多いこと,あるいはよく知った関係者で成り立っており,よそ者に敏感な閉鎖的な場所になっています(田中2004)。農業にはその方が都合がよいからです。

マチは,知らない人が集まっています。どこの出身だとか,今まで何をしてきた人とかわかりません。そのために誰がやってきても誰が去っていてもいいという開放的な場所になります。

2.都市の生成

マチを都市として考えていきましょう。

都市は異質な人が集まり,交流を始めます。自分の持っていない者が欲しい,自分の持っているものを売ろう,これにより無数の知らない人同士が町に集まり,情報を交換し交流をします。都市は新しいモノや情報が集まり,それに興味を持つ人々が集まります。そしてそれらが交換されます

都市は,新しいモノ,新しいことを生み出す創造的意欲をかきたてる場所となります(田中2004)。

このような都市は自然発生的に出来た都市といえます。自由な個人が自分の意志で町に集まり経済活動を行います。好きな場所に家を建て,好きな場所で商売をします。その結果として都市の景観が出来上がっていきます。地中海貿易が盛んなころの諸都市はそのような都市だったのかもしれません。

3.権威とルール

さて,村と都市の違いのもう一つは,その地域(国)の権力者は村に住まず,都市に住みます。その理由は利便性にあります。軍隊を持つ,必要な物資を調達する,等権力を維持するために必要なものはすべて都市にあるからです。

権力者は,知らない人,異質な人が集まる都市で安全な取引を保証しなければなりません。そうしないと,みなが出ていくからです。つまり,私有権や市場の取引ルールが制定されるようになります。

これは都市に集まった個人にとっても便利です。ルールがあるからこそ,安心して取引が可能になるからです(ヒックス『経済学史の理論』)。


4.都市づくり

都市ができる過程には,個人が自由勝手に集まってできた場所なのか権力者が街づくりを行ったかに分けられます。

日本の平城京,平安京などは中国の都づくりに影響を受けた権力者によるまちづくりです。軍事を含めて権力者が運営しやすい仕組みであったと思われます。知らない人が入らないように監視できること,街の中では安心して暮らせるようにすることなどです。城や門や広場などを町の中心に配置するのは世界の都市づくりの共通点です。権力者の権威を示すとともに,軍事的な目的を達成しやすいように町がつくられ,運営されます。ベルサイユやパリなどもその典型でしょう。

首都でないところは自由に街づくりができる傾向があります。ワシントンは区画が整理され,人工的な町の雰囲気を醸し出していますが,ニューヨークは雑多な人たちが集まり,心地よいカオス感を出しています。


5.都市は管理と自由がせめぎ合う場所

都市は,権力者によって管理しようとする力と個人が自由に集まって取引しようとする力がせめぎ合った場所です。市場経済の良さは,匿名の不特定多数が自由に取引でき,そしてそれが住む人々の満足度をあげるところにあります。

しかし都市の市場経済は,混雑や廃棄物や犯罪なども生んでしまいます(市場の失敗)。このために政府は都市に住む人々の自由を管理,コントロールしようとします。あまりコントロールが強いと都市の経済は栄えません。もっと自由な場所を求めて移動するでしょう。とくに資本はすぐに移動してしまいます。

都市の繁栄には,適度な管理と自由な経済取引がないと難しいです。都市では常に個人の自由が発揮されつつも権力者による管理とが生まれています。

このように都市とは,「管理と自由がせめぎ合う場所」だということができます。

<参考>
田村明(2004)「都市をいかにデザインするか」 pp.250-256
学芸総合誌・季刊『環』【特集】都市とは何か Vol.17 藤原書店
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2016年01月12日

中央都市工作会議

昨年12月に中央都市工作会議が37年ぶりに開催されたんですが、中央経済工作会議の陰に隠れて、日本の報道ではほとんど触れられていないですよね。

ということで、中央都市工作会議の件をPlatnewsに寄稿しました。

多くの農民工が劣悪な環境で生活する中国ー7億人以上が都市に集中(岡本信広)(Blogosにも転載)

中国にも都市運営や都市経営の考え方が広がっている印象を持っています。

ところで、なぜ日本では中国の都市化が触れられないんだろうと思っていたところ、Platnewsの編集者と話ししていて気がついたのは、「都市」や「都市化」の内容や意味が一般の人はそんなにわかっていないんじゃないかという点でした。

日本では都市化は過去の事です。日本では東京一極集中とか言われますが、一般の人にとっては、あ〜人が東京に集まっているのね、程度であって、「それ何、おいしいの?」になっているような気がします。それに日本の都市化時代は1960年代がピークで、東京に集まる労働者のために、多摩ニュータウン、港北ニュータウン、千葉ニュータウンの開発が始まった時代です。ある意味過去のことです。

もう一つは、都市化の意味がつかみにくいという点です。都市は人を惹きつける魅力を持っています。多くの人が集まれば、市場が拡大するとともに、経済活動が活発になります。都市は経済活動の「場所」であり、経済発展の中心であることがあまり理解されていません。(むしろ経済成長はいらないみたいな議論もされるぐらいですし。)

今後も都市、都市化の重要性をもう少しわかりやすく語っていきたいと思っています。


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2015年12月29日

ERINA REPORTに寄稿

ERINA REPORTに寄稿しました。

岡本信広(2015)「一帯一路は内陸部を発展させられるか?-重慶を事例に」『ERINA REPORT』環日本海経済研究所,No.127, pp.46-52 (リンク先からPDFでみられます。)

結論として,「「一帯一路」による物流業の発展は中国国内の都市化の推進,さらなる経済発展をも期待できる。重慶はまさに「一帯一路」を活用しつつ,産業集積と物流業の発展が期待できる都市である。シルクロード経済帯にある渝新欧鉄道は重慶の経済発展をもたらす可能性を持っている。通関制度の共通化,運行時刻の改善や便数の増加,そしてコストの低下が進めば,内陸部であるにもかかわらず重慶は中国のさらなる物流拠点,産業集積拠点として発展が見込めるかも知れない。」としています。

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2015年12月22日

地方が消滅してもいい!?

アゴラから

地方創生を考えるには,地方消滅も考慮しないといけないだろうということで,ややあおり(笑)を入れて議論してみました。

さて,前回のエントリーで地方創生のためには、「地方と都市がつながること」と主張しました。

地方を創生するためにやるべきことは何か? --- 岡本 信広

今日は、地方の消滅について考えてみます。結論として、日本という一国全体でみると、地方消滅(その反義としての東京の一極集中)は、感情的には寂しいことですがメリットがあります。


1.地方は都市に吸い込まれる?

地方が東京圏とつながると,地方は恩恵を受けて豊かになりますが,たしかに消滅する可能性もあります。

都市経済圏との一体化は、地方を消滅させる、あるいは地方と都市の格差を拡大する(あるいは固定化しうる)という見方も経済学者にはあります。代表的なものでは,ウォーラーステインの世界システム論,ミュルダールの累積的因果関係,ハーシュマンの分極効果などです。

簡単にまとめると,

1)地方は産業基盤が弱いので常に都市からの財やサービスを購入しつづける。
2)地方の優秀な人材が都市の大学に進学する,就職して帰ってこない。
3)人が移動する→産業が衰退する→町に活気がない→さらに人が来ないという因果関係が累積的に繰り返される。

ということがあげられます。具体的には,東京湾にアクアラインができて木更津がさびれた,つくばエクスプレスができて秋葉原ばかりが得をした,という現象です。「ストロー効果」といわれたりします。


2.長期的にはメリットがある

都市と地方がつながるメリットは以下のメカニズムで働きます。

1)都市部の住民が地方の特産品や農業製品を購入する。
2)都市部の人たちが地方に観光にいく,あるいは混雑をきらって地方に移住する。
3)都市では競争が激しく利益が得られないので,地方に企業が投資をする。

などです。具体的には,木更津に有名アウトレットパークができたとか,つくば市の人口が増えているとか,です。

都市と地方が「つながる」ことによって地方は得をします。中国の事例ですが,私の研究でも地方都市化間の格差を固定化する効果よりも都市の恩恵が地方にいく効果の方が大きいと出ています(岡本2012)。


3.地方が消滅することは悪いことか?

すべての地方が都市とつながったとして、すべての地方にメリットがあるとは考えにくいのは確かです。日本の人口が減少傾向にあるために、地方に行くのが便利になった、都市の混雑がいやで地方に住みたいという需要が出てきますが、すべての地方を潤すほどの労働者と消費者がいるわけではありません。

となると、やはり一部地方には、消滅するリスクが存在します。

しかし、ミクロ的な個人の感情を除いて、マクロ的な経済全体としては地方消滅にはメリットがあります。

都市化は災害、環境、エネルギー、そして経済の生産性向上に力を発揮します(グレイザー2012)。

都市の方が災害の被害が少なく、環境にもやさしく、エネルギーを節約することが可能です。

自宅で各部屋に家族が散らばってエアコンを各部屋ガンガンかけるよりも、リビングに集まっているほうが、環境とエネルギーに優しいのと同じです。

それに加えて、多くの多様な人々が都市に集まるため、新しいアイデアが生み出され、生産性が向上する可能性も増します。生産性が向上すれば、その都市が経済発展を牽引します。この意味でも都市は「人類最大の発明」であるのです。(この意味では、東京はさておき大阪は頑張ってほしい。)

ただ、個人的あるいはミクロ的には、地方消滅には物悲しいものがあることは否定できません。自分の育った村が、朽ち果てていくのをみるのはつらいことでしょう。

しかし、それでも郷愁という感情を我慢すれば,自然淘汰としての地方消滅、そしてその反対の現象としての東京一極集中は、国全体としては便益の方が大きいのです。

<参考>
岡本信広(2012)『中国の地域経済: 空間構造と相互依存』日本評論社
エドワード・グレイザー(山形浩生)(2012)『都市は人類最高の発明である』NTT出版
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